よみがえる「世直し一揆」

 19日に東京・新宿の明治公園で「反貧困ネットワーク」主催の「反貧困 世直しイッキ!大集会」が行われた。以前、弊ブログでweb記事をまとめた「青年大集会」もそうだったが、地方在住の私はこの手の催しには参加できず、しかも今回はまだ動画も観ていないので、集会の内容については言及しようがない。ただ「氷河期世代」で先の見えない貧乏人の1人として、とにかく貧困の解消に社会を上げて取り組んで欲しいという思いは共有しているだけに、こうした動きをどんどん広げなければと思っている。

 ところで、私が注目したいのは「世直しイッキ」という名称である。ついに現代の貧困は、その撲滅のための運動に前近代の言葉を用いざるをえないところまで来てしまったことを深刻に捉えざるをえない。「世直し」とは主に江戸時代に「救済」「解放」を求める民衆意識を表現する言葉として登場した。「イッキ」=「一揆」とは中世・近世における人的結合や団結行動を指す。そして「世直し一揆」とは幕末期、開国に伴う経済危機に際して百姓らが生存を賭けて闘った幕藩権力との闘争である。いずれも近代社会では「過去の言葉」であり、特に第二次大戦後は限りなく「死語」に近かったとさえ言えよう(小田実の「世直し」論とかはあったが)。

 そんな「世直し一揆」が現代に蘇ったのは、現代の貧困状況に際して「我々の苦境をリアルに表現している文学は何か」と探した時、『蟹工船』まで遡らねばならなかったのと同様に、「我々の貧困に対する怒りと変革への要求を表現する運動形態は何か」と考えた時、近代的な市民運動や政治運動ではいまいちマッチせず、江戸時代の「世直し」まで遡らなければならなかったということを意味する。

 「反貧困ネットワーク」代表の宇都宮健児氏は「税金の軽減などを求め農民が決起した秩父困民党を模し、たすきにはちまき姿」で「むしろ旗にペンキで『反貧困』と書いてアピール」していたという(しんぶん赤旗2008/10/20)。秩父困民党は、通説では自由民権運動の最もラディカルな形態と評されているが、実際は近代化を前提とした国民国家形成を目指した自由民権運動とは一線を画しており、むしろ近世の百姓一揆の終末形態であったとする学説の方を私は支持している。「反貧困」のプロトタイプを「前近代最後の闘争」たる秩父困民党に求めたのは、逆説的に自由民権以降、特に「戦後民主主義」の言説や身体表現では「反貧困」を社会に訴えるのに十分ではないことを象徴しているのではないか。

 今回の「世直しイッキ」には「垣根を越えて、つながろう」というサブタイトルが付いていた。なるほど近代的な労働争議や市民運動が常に党派間対立や裏切りや妥協を孕み、何よりも時代が進み経済的に豊かになるにつれて民衆のナマの生活要求から、より洗練された政治行動へと昇華することで「プロ市民」化したことと比べると、地域の貧農や日雇い層や雑業層など社会の周縁に押し込められた人々が広範に結集した前近代末期の一揆こそ、まさしく「垣根を越えて、つながった」闘争と言えるだろう。幕末・維新期の一揆には博徒とかヤクザのようなアウトサイダーが参加した例も少なくないほどカオスな状況だった(秩父困民党の代表者も博徒だった)。そしてその要求は「悪税をやめろ」「借金を帳消しにしろ」「「米よこせ」というような生活に即した具体的なものだった。

 もちろん「反貧困」運動自体は客観的には戦後の社会運動の系譜上に位置するし、当時と現代とではその背負っている歴史が異なる以上、そのまま「世直し一揆」を移植することなどできない(何より勝利例は信達一揆などわずかである)。とはいえ少なくとも言説において蘇生した「世直し一揆」は、既成の各種の社会運動が必ずしも現代の貧困に対応できていない状況を照射するとともに、今後貧困解消を目指すための方法論と方向性を指し示しているのではないかと思う。歴史に学ぶとはそういうことである。

【関連リンク】
写真速報:反貧困イッキ!大集会に2000人 - レイバーネット
http://www.labornetjp.org/news/2008/1019shasin/
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by mahounofuefuki | 2008-10-21 00:14


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