大衆の「願望」が政治家の「虚像」を形成するという問題

 麻生太郎首相が先日の国会答弁で戦争責任に関する「村山談話」の継承を明言したことで、「ネット右翼」層に「麻生に裏切られた」という声が上がっているそうである。

 J-CAST:首相の「村山談話継承」発言 ネット麻生ファンに失望感噴出
 http://www.j-cast.com/2008/10/03028027.html

 そもそも麻生氏はこれまで靖国神社の非宗教化やA級戦犯分祀を支持したり、外務大臣時代には「北方領土面積折半」論を唱えるなど、とうてい「ネトウヨ」が望むような政治家ではなく、国際関係の現状維持を前提とする「旧来の保守」である以上、安倍政権でさえ維持した「村山談話」を否定することなどできるはずもない。この種の人々がいかに表層のイメージに流されやすいかを如実に示していよう。

 麻生氏については、以前「失言」が許されてしまう人というエントリで、田中眞紀子氏や小泉純一郎氏や橋下徹氏のような真のポピュリストではなく、半ば自己演出によるキャラづくりの結果、「人気者」という虚像が形成されていると指摘したことがある。

 たとえば彼の愛称「ローゼン閣下」は、漫画『ローゼンメイデン』を空港で読んでいたところを目撃されたという「都市伝説」めいた逸話がきっかけになっているが、当時本人が「たまたま」読んだと明言しているにもかかわらず、勝手に「オタクの味方」に仕立てられたものである。ちなみに私は彼が『ローゼン~』を「少女漫画にしては重厚だ」と評していたのを聞いて、あれって少女漫画か?と疑問を持つと同時に、「少女漫画」=「軽薄」という前提に反発を覚えていた。「こいつは少女漫画をまともに読んだことがないな」とも思った。つまり麻生氏は真の漫画読みではない。

 *この機会に言っておくが、「ローゼン閣下」とか「ローゼン麻生」と見聞きするたびに、麻生の顔をしたゴスロリ風衣装を纏った人形が「麻生家の下僕になれ」と言っている絵が浮かび、いつも不快な思いをしている。

 いずれにせよ麻生氏が自己演出し、大衆が勝手に思い込んでいた虚像は、首相となってからどんどん崩れつつあると言えよう。自民党内での支持基盤の小さい彼には政権運営のフリーハンドはなく、一方首相という責任ある立場では「失言」にも慎重にならざるをえず、それがかえって右傾大衆の支持を失うという結果になっている。

 また、国会答弁も今のところほとんどが官僚の作文の棒読みで、威勢の良さはすっかり鳴りを潜めている。集団的自衛権の行使を容認するという重大な憲法違反発言こそあったが、基本的には福田内閣の新自由主義「漸進」路線を継承している。麻生内閣は従来の自公政権の枠内で、忠実に政財官癒着体制を継続しているのである。

 麻生氏をめぐるネット上の茶番は、政治家を判断するにあたって、人格的イメージや口先だけの表層の虚像に惑わされることなく、実際にどんな政策を行い、どんな政治行動をとっているのか、事実に基づいて検証する必要があることを示している。これは何も与党だけに当てはまるのではない。野党に対しても勝手な思い込みによる虚像を仕立てるのは慎むべきである(特に小沢信者に注意を促したい)。
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by mahounofuefuki | 2008-10-05 21:59


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