小泉純一郎引退に思うこと

 元首相の小泉純一郎氏が次期衆院選に立候補せず、引退する意思を表明したという。

 実は第一報を聞いた時、頭によぎったのは、子息のタレント小泉孝太郎氏を神奈川11区の後継に据え、次期総選挙の「目玉」として「劇場」のキャラクターに仕立てる作戦の布石なのではないか?と疑ったのだが、時事通信(2008/09/25 19:15)によると、後継者は子息は子息でも二男の小泉進次郎氏だそうなので、私の疑念は単なる思い過ごしだったようだ(とはいえ4代続けて世襲とは本当にこの国の選挙区制は腐りきっている)。

 今のところネット上の反応を見る限りでは、小泉政権が推進してきた「構造改革」路線が破たんし、先の自民党総裁選では小泉氏が支持した小池百合子氏は思ったほど集票できず、もはや自民党内にも居場所がなくなり「逃亡」した、というような見方が多いようである。キャラクターとしての人気は依然高いとされる小泉氏だが、総裁選で存在感を全く示せなかったように、もはや貧困・格差・不況に喘ぐ日本社会において、彼の政策と手法が受け入れられる余地がなくなりつつあるのは確かだろう。小泉氏の「退場」は、ある意味自公政権が推進した新自由主義「急進」路線の終焉を象徴している。

 とはいえ、まさに小泉政権によって生活の安定と希望を奪われた者としては、このまま「逃げ得」を許すこともできない。小泉政権の悪行の数々の総括は必要だし、小泉氏に対する政治責任の追及の場も必要である。議員も引退してオペラ三昧なんて悠々自適を許容する気には全くなれない。引きずり出して地獄の劫火で苦しめてやりたいというのが本音である。
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by mahounofuefuki | 2008-09-25 20:39


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