5.6%の憂鬱 (追記あり)

 宮崎日日新聞(2008/08/13)が、今月初頭に行った東国原英夫知事に対する宮崎県民の意識調査の結果を報じている。東国原氏に対する支持率は前回調査より4.2ポイント低下したものの、依然として89.5%の高率。一方、不支持率は5.6%だった。

 興味深いのは支持理由で、最も多いのは「メディアで宮崎をPR」で36.7%、次に多いのは「県民を元気づけている」で29.4%だった。昨年の調査では「行財政改革などの政策」が支持理由のトップだったというから、県民の多くは「行財政改革」(それがよいかどうかは別として)が進んでいないことは認めているのである。
 それにもかかわらず高支持率なのは、要するに県民のマジョリティは知事に行政上の具体的な成果ではなく、何より「セールスマン」としての役割と「元気」の付与を求めているからで、東国原氏はそういった大衆の欲求に忠実に従っていると言えよう。

 支持者の愚かさを嘲笑うのは簡単である。しかし、ある意味、地方政治に何を期待しうるかという問題に即せば、実にリアルな判断であると言えるのは否定できない。現在の都道府県はどこも財政赤字に苦しみ、地方交付税交付金の削減や地方向けの公共事業の減少などで、著しく体力が落ちている。地方自治の財政的・経済的基盤の再建には国の支援が必要不可欠だが、国は地方切り捨てを続けている。このような状況下では誰が知事でもたいしたことができない。それならばせいぜい地域のセールスマンとなって、地元の産品の販路を拡大するのに寄与してもらった方が、できもしない「改革」などよりも現実的な「成果」を受け取れる。ポピュリズムは政治に対するシニシズムと表裏一体である。

 とはいえ「元気づけている」という具体性の欠けた、受け取り手の内面に関わる要素が重視されているのは、やはり問題があると言わざるをえない。面倒な事や不愉快な事や不都合な事を隠蔽してでも、耳に心地よい話だけを提供しろと求めているに等しいからだ。何となく景気のよいイメージさえあれば、あとはどうでもよいという思考停止が読み取れる。東国原氏と双璧を為すタレント知事である橋下徹氏に至っては、明らかに住民の多くに「不利益」をもたらしているのに、やはり高支持率をキープしている。彼も口先では「大阪を元気に」と繰り返していた。奴隷根性が骨まで沁みついている人々は、もはや表面的な「元気」さえもらえれば、自己にふりかかる「不利益」も霧散してしまうのだろう。

 ちなみに、よくポピュリズムにはポピュリズムで対抗せよという見解があるが、大衆が求めるものが「元気」である以上、それに迎合すれば東国原や橋下のような姿にならざるをえない。つまり東国原氏に対抗するために同じような人材を擁して勝ったとしても、その対抗馬は東国原氏と何ら変わらず、同じような行動しかとり得ない。それでは全く意味がないことは言うまでもない。

 今回の調査でわかったことは、少なくとも宮崎県でまともな人々の割合が5.6%だという厳然たる事実である。全国の割合も同じようなものだろう。学校のクラスで1人か2人。ある意味絶望的な数字だ。この5.6%が5.6%のままで「勝つ」方法をとるか、残りの9割以上が翻意するのをじっと待ち続けるか。おそらくそのどちらも必要なのだろう。最悪なのはこの5.6%すら同調圧力に屈して、マジョリティに宗旨替えしてしまう(させられてしまう)ことである。そんな最悪の事態もないとは言えないほど、この国の政治状況は袋小路にある。


《追記 2008/08/15》

 「Gazing at the Celestial Blue」より「大阪府民は400人よりはたくさんいる」というエントリのTBをいただいた。不覚にもそのエントリは今まで見落としていて、本エントリを書くときには全く念頭になかった。
 Gazing at the Celestial Blue 大阪府民は400人よりはたくさんいる
 http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-497.html

 ご指摘のように、世論調査がどこの誰を対象に、どういう方法で行っているかを考慮しないで、結果だけをそのまま信じてしまうことは危険である。本エントリで触れた宮崎日日新聞の調査も詳細不明なので、そのままの数字を真に受けて「まともな人が5.6%しかいない」と勝手にシニカルに沈んでしまったのは、言いすぎであった。そもそも「まとも」という言い方自体にある種の差別意識が内包されている。本記事は8月13日時点での正直な感想なので撤回はしないが、現在は反省している。碧猫さまに感謝申し上げます。
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by mahounofuefuki | 2008-08-13 23:11


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