潜在する「原爆肯定論」と戦争体験の「伝え方」

 今日は長崎原爆忌だが、私が注目していたのは、昨年原爆投下を「しょうがない」と発言した久間章生衆院議員(当時は防衛大臣)の動向だった。朝日新聞(2008/08/09 13:21)によれば、久間氏は昨年欠席した長崎平和祈念式典に今年は参列したものの、相変わらず「原爆投下を肯定するつもりで言ってない」と弁明し、発言そのものを撤回しなかったという。久間氏は被爆者団体による政府への要望の場にも同席したが、長崎原爆被災者協議会の事務局長は「直接久間氏に抗議したいが、今回は被爆者の思いを政府に伝える場なので自粛する」と話しているという。地元長崎選出の国会議員としての「威力」が久間氏への批判を弱らせ、問題を霧散させようとしているのではないかという疑念を抱かざるをえない。

 ところで、久間氏の発言趣旨とは微妙に異なるが、「原爆のおかげで戦争が“早期終結”し、軍部から解放された」という見方を私は実際に何人かの戦争体験者から聞いている。これは原爆が「本土決戦」を回避し、天皇制国家を解体させる直接的契機になったという意味で、原爆投下が日本本土侵攻で想定される兵員の犠牲を救ったというアメリカの原爆正当化論とも通じるが、こうした「実感」は戦争体験者に少なからずあると思われる。

 この件については、そもそも日本政府の降伏決定に原爆がどの程度影響を与えたのか依然不明だし、ソ連の侵攻が「終戦」の決定打だったという説もあり、政治史的には根拠薄弱なのだが、何よりもどこかに「正しい目的のためには大量虐殺は仕方ない」という政治主義や、戦争犠牲者の「死」に無理に「われわれのために犠牲になった」という身勝手な「意味」の付与が読み取れて(実際は原爆の犠牲者は誰かのために「目的」をもって犠牲になったわけではない)、非常に危険なものを感じる。特に後者は戦争犯罪を行った政治主体の責任を免罪している点で、「国のせいで死んだ」戦没者を「国のために死んだ」とすり替える「靖国史観」と共通する。

 よく戦争体験が風化することへの警告や、戦争の実情を理解する必要性は指摘されるが、実際の体験者の「戦争体験」に含まれる「実感」が、結果として戦争に対する認識を歪める可能性があることは、これまであまり重視されてこなかった(久間氏の発言もいわば彼なりの「戦争体験」談である)。現在伝えられる「戦争体験」も実はほとんどが「敗戦体験」で、戦争の語りが「8月」に集中しがちな原因もそこにある。言うまでもなく「15年戦争」の全過程においては日本軍による「加害体験」も多数あり、「被害体験」も敗戦間際固有のものではない。それぞれ個別の戦争体験から今日的意義を読み取るには、やはり当時の人々が置かれていた社会状況や政治構造を学ぶことが必要であるし、場合によってはそこから戦争犯罪を正当化するような「体験」を批判しなければならないだろう。

 実際に私の周辺であった話だが、中国戦線に出征した元兵士が、新兵の時に上官命令で中国人捕虜を銃剣で殺したという体験を話したところ、ある子どもが「○○○(中国人の蔑称)を殺せるなんて羨ましいな」という感想を漏らしたことがあった。インターネットで排他主義や歴史修正主義の言説に容易に触れられるようになってしまった現代の悪弊が如実に表れているが(捕虜虐殺の事実を認めているだけ、「捏造」とか喚く改竄派よりはましなのかもしれんのが悲しいところだが)、そういう時代にあっては単に「体験」を伝えるだけでは限界があるのも確かだ。戦争体験の「伝え方」に工夫が必要になっていると言えよう。

 残念ながら文部科学省の教科書検定や一部マスメディアの反学問的な歴史改竄の動きや「受験体制」の弊害のせいで、歴史教育が歴史学から乖離しているのが現実である。歴史学界では実証的にとうてい通用しないような「否定説」(たとえば南京大虐殺)や「陰謀論」(たとえば真珠湾攻撃)が、世上では横行しているのも周知の通りである。そうした現状では、戦争体験の「伝え方」を云々する段階にはないとも言えるが(むしろ歴史教育の場では、当時書かれた文書=1次史料に触れさせる方が重要である)、一方で、「体験」ならではの「深み」と「厚さ」は決して軽んずるべきでもない。現実問題として戦争体験者の数が減り続ける中で、平和形成への力となるような「伝え方」を考えねばなるまい。
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by mahounofuefuki | 2008-08-09 22:23


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