朝日新聞が「あすの会」に謝罪する必要はない

 朝日新聞2008年6月18日付夕刊「素粒子」が、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2か月間隔でゴールサイン出して新記録達成。またの名を、死に神」と記述したことに対し、「全国犯罪被害者の会」(「あすの会」)が朝日新聞社に抗議の上、公開質問状を提出していた問題で、朝日側が「厳粛に受け止める」という趣旨の回答を行っていたことが報じられた。

 一連の「死に神」問題に対しては、いつもの「朝日たたき」(もはやかの新聞には何の権威もないのに、いまだに朝日を中傷することでしか自己の存在意義を確認できない情けない輩が大勢いる)の一環で、ネット遊民の「ネタ」(それもかなり不謹慎な)以上でも以下でもなく、私は全くフォローしていなかったが、「あすの会」の抗議とそれに対する朝日の回答については、重大な問題をはらんでいるので問題とせざるをえない。

 問題の朝日の記事は一言も「犯罪被害者」に触れておらず、鳩山氏による「大量処刑」への揶揄はあっても、死刑制度や死刑執行自体への賛否すら読みとれない。質問状では「本記事は、法務大臣だけでなく、死刑求刑した検察官、死刑判決した裁判官、執行に関与した関係者等すべてを侮辱するもの」と決めつけているが、どうしてそんな解釈になるのか全く理解できない。

 鳩山氏が「死に神」と呼ばれたことに抗議するのは正当性があるが(ただし私は「死に神」が中傷だとは思わないが)、「あすの会」や犯罪被害者を侮辱したり、彼らの活動を否定するような文言が全くない以上、「あすの会」の抗議は私には単なる言いがかりにしか思えないのである。

 当然、朝日は「記事はあなた方について一切触れておらず、抗議を受けるいわれも、質問に答える必要もない」と回答して構わないのだが、社会の「空気」に敏感にならざるをえない商業新聞らしく、実際は「(被害者の)お気持ちに思いが至らなかった」「ご批判を厳粛に受け止め」(朝日新聞2008/07/02 03:14)などとピントの外れた回答をしてしまった。これではまるで、やってもいないことで謝っているようなものだ。

 犯罪被害者(正確には「被害者」ではなく「被害者の遺族」がほとんどだが)だからと言って、その考えがすべて正しいわけではない。この国では国家や企業の不法に異議申し立てをする被害者はむしろバッシングの対象になる一方、国家の暴力装置と同一化したがる「タカ派」的な「被害者」は過剰なまでに「英雄」扱いされる傾向がある。近年の「あすの会」は死刑制度に批判的ないし懐疑的な被害者を排除するなど政治性を強めている。今回の件も死刑に対する異論を一切認めないという専制的な同調圧力の匂いがする。

 共同通信(2008/07/02 16:25)によれば、「あすの会」は今回の回答に満足せず、再度抗議書を送るそうだが、この国の熱しやすく冷めやすい「空気」を恃んで無理をしすぎると、かえって傷を負うことになるのではないかと心配している。一方、朝日新聞はあまり弱腰にならず毅然と対応した方が長期的には得策である。世論のマジョリティーはなにしろ「毅然」が大好きなのだから。


《追記 2008/07/04》

 この問題に関してネット上では、法務大臣として刑事訴訟法に基づいた職務を遂行しているだけの鳩山氏への批判はおかしい、という意見があるそうだが、噴飯ものである。光市母子殺害事件の弁護団も「法律に基づいた職務を遂行しているだけ」だったのに、雨あられのような非難を浴びた。今回「素粒子」を批判している連中はほとんどが光市事件で弁護団バッシングに加担していた者たちだが、この矛盾をどう捉えているのだろうか。

 この国のマジョリティーは「安心して攻撃できる“公認の敵”」を求め、それらに苦役を与えることが「自己の救済」だと錯覚している。「被害者」に共鳴しているようで、実際は国家がお墨付きを与えた「敵」をいたぶることに快楽を見出しているにすぎない。改めて日本社会の病理の深さを痛感した次第である。


《追記 2008/08/01》

 結局、朝日新聞は「あすの会」に事実上謝罪したらしい。「被害者」をだしに凶暴化した大衆のバッシングに屈したと言えよう。鳩山氏にならともかく、なぜ関係のない「あすの会」に謝罪する必要があるのか。朝日の腰の弱さと同時に、やってもいないことを謝罪させられるこの国の現況に暗澹たる気分にさせられる。

【関連リンク】
【朝日新聞社に公開質問状提出】- 全国犯罪被害者の会 NAVS
http://www.navs.jp/2008_6_25.html
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by mahounofuefuki | 2008-07-02 22:23


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