要するに「現場」の「表現の自由」より「お偉いさん」の「表現しない自由」を優先するという判決

 「従軍慰安婦問題」を民間で裁いた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を取材したNHK教育テレビのドキュメンタリー番組(2001年1月放送)の内容が、NHK上層部の指示で改変された問題をめぐって、取材対象・協力者だった「戦争と女性への暴力」日本ネットワークが「番組への期待・信頼を裏切られた」としてNHKを訴えていた訴訟で、最高裁は原告一部勝訴の控訴審判決を破棄する判決を下した。

 今回の最高裁判決の問題性については、管見の限りでは東京大学大学院教授の醍醐聡氏のブログが最も要領よく整理されており、そちらを参照したい。
 醍醐聡のブログ:まれにみる稚拙で悪質な最高裁判決――ETV番組改編事件に対する最高裁判決への論評
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/etv_b991.html
 今回の判決について「国民の知る権利に背く番組改編を憲法が保障した『表現の自由』の名の下に免罪した支離滅裂な判断」、「政治介入に起因する番組改編をNHK内部の検討にすり替える歪んだ事実認定」と評しているが、おおむね肯定できる評価である。

 訴訟の争点は取材協力者の「期待権」であったが、私見では問題の本質は「報道現場の『表現する自由』」と「政治権力に影響されたメディア上層部の『表現しない自由(編集する自由)』」の対抗にあったと解釈していた。判決は「法律上、放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組の編集をするかは、表現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自立的判断にゆだねられている」ということを前提に(その前提は正しい)、放送事業者の編集権を「期待権」より優先したのだが、むしろ現実問題としては「報道現場の『表現する自由』」より「上層部の『表現しない自由』」を優先する効果を与えたことが問題である。

 それ以上に問題なのは、そもそもNHKの上層部が番組を改編させたきっかけが、放送直前の2001年1月末に、自民党の歴史修正主義派の国会議員が番組内容に注文をつけたこと、特に当時内閣官房副長官だった安倍晋三氏にNHKの放送総局長と国会担当役員が面会し、その場で安倍氏が番組内容にケチをつけたことにあったにもかかわらず、最高裁の判決は控訴審判決とは異なりこの件を完全無視したことである。いわば「上層部の『表現しない自由』」の背後には予算編成への影響力をもつ国会議員の影があったことを全く問題にしていないのである。

 歴史修正主義派の国会議員による「表現の自由」への介入といえば、映画「靖国」に対する稲田朋美衆院議員らの事前検閲要求と上映妨害が記憶に新しいが、NHK問題はそうした「政治介入」を恒常化させた重要な事件である。今回の最高裁判決が「政治介入」を黙殺したのは「表現の自由」が危機的状況にある現状を鑑みればあまりにも不当である。
 *ただし、「政治介入」を「否定」したわけではないので、「政治介入」は「捏造」だという安倍氏の強弁は判例に根拠をもたない。少なくとも安倍氏の影響を指摘した控訴審判決は歴史的記録として残る。

 今回の件に対する右翼系統のリアクションは忙しくて未確認だが、おそらく「勝利」に沸いているのだろう。しかし、マスメディア上層部の「表現しない自由」が過剰に容認されれば、その影響は歴史認識の報道にとどまらない。たとえばテレビに限っても、民放がスポンサーに配慮して「自粛」したり、ワイドショーが大手芸能プロダクションに配慮して「隠蔽」したりすることは日常茶飯事であるが、このように「企業としてのマスメディア」の「編集権」が専ら権力への迎合を正当化する方向に無制限に拡大すれば、結局は「左」も「右」もなくすべての視聴者にとって「知る権利」の侵害となり、多大な不利益をもたらすだろう。

【関連リンク】
平成19(受)808 損害賠償請求事件 平成20年06月12日 最高裁判所第一小法廷判決 – 裁判所
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=36444&hanreiKbn=01
NHK番組改変 東京高裁判決文 全文 – News for the People in Japan
http://www.news-pj.net/siryou/2007/nhk-kousai_zenbun20070129.html
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by mahounofuefuki | 2008-06-13 12:26


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