小林多喜二の『蟹工船』がブームになっているとよく言われるが、私の行きつけの書店では特に平積みになってもいないし、実際に最近初めて読んだという同世代の声も聞かない。「中央」と「地方」の相違なのかもしれないが、正直なところ今の若者が「あの」文体をすらすらと読めるのか疑問だし、専らイメージだけが独り歩きしている可能性もあるのではないか、というのは穿ち過ぎだろうか。
本当に「氷河期世代」でブームになっているとすれば、あまりにも悲痛である。労働法制と言えば工場法くらいしかなく、労働運動は治安警察法や治安維持法などで厳しく制限され、労働争議の鎮圧に軍隊が出動するような『蟹工船』の時代と、労働基準法も労働組合法もある現在の労働環境が同じであるというのは、いかにこの国の労働行政や労働運動が貧弱であるかを実証しているようなものだ。 確かに『蟹工船』が提示する経済構造は現在の「ルールなき資本主義」の状況とクロスしている。たとえば次の箇所。 ――蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホッツクの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいいことだった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって金がだぶついてくると、「文字どおり」どんなことでもするし、どんな所へでも、死に物狂いで血路を求め出してくる。そこへもってきて、船一艘でマンマと何十万円が手にはいる蟹工船、――彼らの夢中になるのは無理がない。丸ビルを「六本木ヒルズ」とでも言いかえれば、そのまま現在の大企業にあてはまる。作中では斡旋屋の搾取や蟹工船間の成果競争や安全・衛生管理の無視や「監督」のリンチなどが描かれるが、いずれも現在いたる所で普通に起こっていることである(営業職などで上司が部下に文字通り鉄拳制裁を下すのはよくあることである)。こうした描写にリアリティを感じて共感することは十分にありうる。 とはいえ『蟹工船』は、出自も性格も異なる労働者たちが心身ともに追い込まれサボタージュをはじめるあたりまでは臨場感のある描写が光るが、その後団結して立ち上がっていく過程ははっきり言って「革命ファンタジー」である。『蟹工船』がプロレタリア文学として傑作である所以は、社会主義運動の弱点も厳しく抽出している(たとえば民主集中制を「それはそうたやすくは行われなかったが」と指摘)からだと私は考えているが、それでも戦前の日本共産党が大衆的基盤を得られないまま強力な弾圧で潰され、さらに戦後の社会主義運動は冷戦の枠組みを抜け出すことができなかった上に分裂と抗争を繰り返し、社会主義自体が失敗に終わった現在の視点から見れば、『蟹工船』に「革命のリアリティ」も「現在の希望」も見出すことは至難である。 実際、少なくとも私は10代の頃『蟹工船』を「敗北の書」と解釈していた。そして特高による拷問の傷跡が痛々しい小林多喜二の遺体写真と合わせて、時の権力に正面から反抗すればどうなるか「見せしめ」の役割を果たしていた。反抗すれば必ずむごたらしい暴力を受けて虐殺されるが、抵抗せずに我慢すればやはり過労死に至る可能性はあるが、何とか生き残ってわずかばかりとは言えカネをもらえる可能性が残る。ほとんどの人間は後者を選ぶだろう。本当に苦境にある人ほど『蟹工船』によって絶望感を促進されるのではないか。 そんな問題を抱えているにもかかわらず、『蟹工船』が読まれているとすれば、一時期の「癒し」ブームなんかと同じように、「革命ファンタジー」への現実逃避があるのではないか。実際には孤立している「わたし」が、「仲間」とともに立ち上がり、非人間的な職場を変革していくという「夢」。「夢」を見るだけでなく実際に行動できる人は少ないし、ましてや現実的な成果を勝ち取れる人はもっともっと少ない。毎日新聞2008/06/03朝刊「記者の目」で、「『蟹工船』の世界は、結婚している労働者がいるなど、今のフリーターより恵まれて見える面もある」という赤木智弘氏の言葉が紹介されているが、私も同感である。個々の労働者が個別にノルマが課せられ競争にさらされている現在、同一職場内の「横の連帯」は非常に困難になっている。連帯の可能性があった「蟹工船の時代」をうらやましく、憧れさえ抱いてしまう。ただし憧憬だけでは地に足のついた抵抗にはつながらない。 『蟹工船』ブームに対する既成のコミュニストやそのシンパの反応も不可解だ。『蟹工船』が売れているのを「共産主義が理解されている」と喜んでいるようでは、他人の不幸を喜んでいるのと変わらない。労働環境が今ほどひどくなければ『蟹工船』など読まれはしない。『蟹工船』など読まれない社会の方がよほど幸福である。もし社会の矛盾の拡大が「革命」の早道などと考えていたら本末転倒だ。さらに『蟹工船』から80年間、これを超える「貧困を語るリアリティのある言葉」を生み出せなかったことを恥じなければならない。 『蟹工船』がブームになる社会はあまりに不幸である。『蟹工船』が「昔話」になる時代は私の眼の黒いうちに到来するだろうか。このブームに私は「希望」を見出すことができない。 *現在ベストセラーになっているのは新潮文庫版らしいが、私の手持ちの『蟹工船』は十数年前に古書で購入した角川文庫版で、奥付は1985年刊行の「改版30版」となっている。本文の引用は同版によった。
by mahounofuefuki
| 2008-06-08 16:45
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