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グリーンカード兵士から見える軍隊の変容~「国民軍」から「グローバル軍隊」へ

 フランス革命前夜のヴェルサイユ宮廷を舞台とする池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』で、フランス王妃マリー・アントワネットの愛人として登場するハンス・アクセル・フォン・フェルゼンは「スウェーデン軽騎兵大佐」という肩書で、スウェーデンの軍事貴族だった。
 ヨーロッパの封建王権において軍隊の主力は外国人傭兵であり、それ故に市民革命は「封建体制VS近代民主主義」という対立軸と同時に「世界宗教(キリスト教)的・国際的王権VSナショナリズム」という構図を兼ねていた。『ベルばら』でもフランス人の部隊は王権から離反しバスティーユ蜂起に参加する一方、王権に最も忠実だったのは外国人傭兵だった様子が描かれている。

 この挿話は前近代から近代への軍隊の変容を示している。外国人傭兵が王権を守る封建軍隊から、自国民が国家を防衛する近代軍隊への変容である。そして近代軍隊の「理念型」は「国民皆兵」であり、兵役は「国民の権利」を保障する代償としての「国民の義務」と捉えられていた。
 もちろんあくまでも「理念」なので、実際はフランスでは「外人部隊」が現在に至るまで存在するし、イギリスは最も早く市民革命を経験したのに長らく均質な徴兵軍隊を実現できなかったように、現実とのギャップはあるのだが、近代国家の軍隊は「国民軍」であるというのが少なくとも建前上の大原則であった。
 *ちなみに日本でも普通選挙導入後に兵役と選挙権を交換関係とする考え方が出てくる。アジア・太平洋戦争末期まで植民地で徴兵を実施しなかった理由の1つに選挙権問題がある。

 近代国家を構成する最も重要な要素であった「国民軍」は現在新たな段階へ移行しつつある。特に唯一の超大国アメリカでそれは顕著である。
 アメリカは現在徴兵制を停止し、志願兵制を採っている。問題は志願兵に占める移民系住民の割合が急増していることだ。アメリカ軍にはアメリカ国籍や市民権がなくともグリーンカードと呼ばれる永住権があれば志願できる。しかも、ブッシュ政権がグリーンカード兵士の市民権取得を優遇する措置を実施した結果、市民権の欲しい移民による軍への志願が増大した。
 軍隊勤務と「国民の権利」が交換関係にあるという点で「国民軍」の基本構造は変わっていないが、その交換関係が移民と貧困層だけに課せられているという点が徴兵制時代と決定的に異なる。いわば黙っていても「アメリカ国民」になれる「一流国民」と、軍隊を志願しないと「アメリカ国民」になれない「二流国民」の厳然たる差別が存在するのである。これがヴェトナム戦争における兵役忌避を軸とした反戦運動の帰結と考えると皮肉な話である。

 横須賀で起きたタクシー運転手殺人事件で、神奈川県警に逮捕されたアメリカ海軍の兵士はナイジェリア国籍のグリーンカード兵士だった。現在海軍の兵員の3分の1近くが彼らのようなアメリカ国籍を持たない人々だと言われている。今やアメリカ軍は「国民軍」ではなく、多国籍の兵員から成る「グローバル軍隊」と言っても過言ではない。
 この「グローバル軍隊」はアメリカの支配層にとって非常に「おいしい」システムである。巨大資本は搾取と収奪によって世界的に貧困を作り出し、貧者を軍隊に送り込む。その貧者の軍隊を巨大資本の利権拡大のための戦争に動員する。兵士がいくら死のうが痛くも痒くもない。しかも貧者は「自発的」に「喜んで」軍を志願してくれる。まさに新自由主義時代の軍隊の姿である。
 逮捕されたナイジェリア人兵士が本当に事件の犯人なのか、彼が脱走した原因は何なのか現時点では何とも言えないが、少なくとも彼もまたグローバリズムの犠牲者であることは確かだ。市民権目当てで軍に入隊したはいいが、厳しい仕事と暴力的な環境に苦痛を感じていたかもしれない。

 「傭兵軍」→「国民軍」→「グローバル軍隊」と変遷してはいるが、軍隊が「公認された殺人集団」であるという1点は不変である。またそこには「戦争のプロ」と「一般民衆」、「国民」と「非国民」、「貧しい人」と「豊かな人」という差別が必ず存在する。アメリカのグリーンカード兵士問題から見えてくるのは、どのような形態であっても軍隊は非人間的な存在であるという厳然たる事実である。
by mahounofuefuki | 2008-04-04 19:57


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