「橋下ショック」と「ポピュリズム」~反省の弁

 1月27日に書いたブログ記事「既得権益への反発と大衆の「本音」~大阪府知事選挙の結果」は、あまり評判が良くなかったようで(高い評価を与えてくださった方も少なからずいたが)、特にはてなブックマークでは批判的なコメントが多く寄せられた。当該記事は投票締め切りとほぼ同時に(まだ開票が始ってもいないのに)「当確」が出たことに腹を立てながら急ごしらえで書いたもので、普段にも増して粗雑で論理性に欠け、感情的な内容になってしまったのは確かである。
 非難が集中したのは、橋下氏に投票した人々を「深く軽蔑し、絶対に許さない」と罵倒した点で、これは彼の立候補表明時にも顰蹙を買ったので、同じ誤りを繰り返したことになる。とはいえそれが当時の私の正直な感情であったので取り消すつもりはない。そういう憎悪を撒き散らす物言いでは決して有権者には受け入れられないという批判もあったが、当ブログはいわゆる「政治ブログ」ではなく、他者を啓蒙しようなどという思い上がりはないので、全く筋違いである。「彼らが自分の首を絞める愚行だったことに早く気づくことだけを祈っている」というのは文字通り「祈っている」のであって、私の文章に「彼ら」を変える力などないことは、誰よりも自分が知っている。

 その点を誤解して、私に大衆を啓蒙できるような知性がないと批判したブログがあった。
 ネット左派リベラルはポピュリズムの反知性主義批判ができるか-手記
 批判の要点は、「ネット左派」(私を含む)は「知性ある自分ってステキ」と思い込んで「B層とかポピュリズム」を非難するが、「同じ左派であっても、堅牢な左派の知性と軟弱思想のネット左派の知性では雲泥の差がある」ので、ネット左翼には「反知性主義」を批判することはできない、ということである。
 しかし、少なくとも私は知性や理性を重視してはいても、それが「自分に十分な知性や理性がある」ということを意味しないと自覚している。当ブログに論理性も一貫性もなく矛盾もそのままにしているのも、それを修正するだけの能力が私にはないからだ。私が「“知”を忌避するポピュリズム」と指摘したのは、私の当該記事を読めばわかることだが、熊谷貞俊氏のような職業知識人を敬遠する大衆心理について言及した文脈の中であって、「ネット左派」のことは念頭にない。そもそも私はポピュリズム=「反知性主義」とは考えていないので、すべてのポピュリズムを「“知”を忌避するポピュリズム」とみなしてもいない。
 ただし、このブログ主がそう誤読したのは、私が「“左”を忌避するポピュリズム」=「“知”を忌避するポピュリズム」と書いてしまったからで、これは完全に「筆が滑った」と認めざるをえず、非は当方にある。当該記事の「『“左”を忌避するポピュリズム』は『“知”を忌避するポピュリズム』でもあり」という部分は撤回する
 なお、このブログ主は現代思想に詳しく、ミシェル・フーコーを信奉しているようで、「知性」の有無の判断基準はフーコーを読んでいるかどうかだそうだが、残念ながら(?)私は『性の歴史』(ご指摘の「知への意思」を含む)はずいぶん前に読んだ。フーコーの権力論も基本的な内容は知っている。また「言語論的転回」についても「初めて聞いたというネット左派たちばかり」と決めつけているが、こちらも私は歴史認識との関係で一家言ある。もちろん私の場合、ただ知っているという程度で、このブログ主の理解度にはとうてい及ばないだろうから、これで揚げ足をとるつもりはない(ただこのブログの物言いに「フーコーを語る自分ってステキ」という無自覚な自己満足が読み取れてしまうのもまた事実)。

 はてなブックマークでも指摘があったが、本来「ポピュリズム」とはパワーエリートが大衆運動を侮蔑して用いた言葉で、日本でも長らく「左のポピュリズム」が主流だった(社会党の土井たか子ブームなど)。それが変化したのはここ10年くらいで、慶応義塾大学の小熊英二氏が「新しい歴史教科書をつくる会」の動きを「“左”を忌避するポピュリズム」と明快に分析したのもその頃だった。「草の根の保守主義」とかファシズム運動とは明らかに異なる「右」の新しい動きは、その後も紆余曲折を経ながら依然として日本社会の底流に定着しつつあると考えている。
 とはいえ、私も含めて最近のネット言説が「ポピュリズム」概念を濫用しているのは確かで、その歴史的経緯や政治学における研究史に無知のまま、単にアイドル的な政治家が有権者を組織化せずとも大量動員できる状況を「ポピュリズム」と斬って捨ててしまう風潮は反省せねばなるまい。昔の左翼が都合の悪いものを何でも「ファシズム」とレッテルを張ったような真似はしてはならないだろう。この問題は私のような「ネット左翼」の手に余るので、誰か本当の専門家が整理してくれるとありがたいのだが。

 本当は「橋下ショック」で野党も知名度の高いタレントを候補として擁立すべきだという動きが顕在化している状況に疑問を呈したかったのだが(むしろ無名だが実力のある現職を積極的に売り出して有名にする方が理に適っている)、時間も紙幅もなくなったので書かない。今回でもう懲りたので、しばらくは「ポピュリズム」問題には触れるつもりはない。

【関連リンク】
はてなブックマーク-世界の片隅でニュースを読む:既得権益への反発と大衆の「本音」~大阪府知事選挙の結果


《追記 2008/02/03》

 前記のブログ「手記」が拙文を受けて、丁寧なフォローをしてくださっていた。
 野党共闘の一極集中型の権力概念は自滅の道-手記
 いろいろ行き違いはありましたが、nichijo_1氏の真摯な批評に敬意を表します。
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by mahounofuefuki | 2008-02-02 12:54


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