教育再生会議最終報告について

 教育再生会議が最終報告を首相に提出した。同会議設立の主唱者である安倍晋三前首相が退場したことで、その地位はすでに低下し、マスメディアも「尻すぼみ」とみなしているが、そう断定するのは早計であろう。福田康夫首相は教育再生会議の後継機関を今月中にも発足させることを表明しており(共同通信 2008/01/31 22:00)、この最終報告は今後も終始議論のたたき台になる恐れがある。

 全文を読み始めてまず笑ってしまったのは、冒頭で唐突に「生活者重視」というフレーズが登場することで、これは言うまでもなく福田首相の施政方針に沿ったものだが、図らずも報告の政治性を証明してしまった。もし安倍政権が続いていたら、間違いなく「美しい国」というフレーズを強調していたはずだ
 続けて「今、直ちに教育を抜本的に改革しなければ、日本はこの厳しい国際競争から取り残される恐れがあります」という日本の支配階級の本音が述べられている。教育を経済に従属させることが一連の「教育改革」の真の目標であり、堂々と包み隠さず明記したのは、潔ささえ感じた。
 とはいえ提言の内容そのものは、長らく保守勢力が一貫して主張してきたもので、目新しさは全くない。「徳育」の充実、「ゆとり教育」の見直し、子どもの選別、「悪平等」の排除、「校長を中心としたマネジメント体制」、小中一貫校、「飛び級」と、国家主義・新自由主義に立った主張ばかりである。

 教育再生会議はそのメンバーに教育学者や現場の教員をほとんど含まず、いわば「素人」の井戸端会議であったことはしばしば指摘されてきた。そのことも含めて、近年の教育政策の特徴は「教育の専門家」を排除ないしは弱体化することに主眼が置かれている。教員免許更新制の導入や「民間人」校長の起用は、明らかに教員の裁量権を弱め、「素人」が恒常的に学校教育の主導権を握ることを目指したと言ってよい。
 今回の最終報告でも「直ちに実施に取りかかるべき事項」の筆頭に「教員免許更新制、教員評価、指導力不足認定、分限の厳格化、メリハリある教員給与」を挙げ、教員に対する国家統制の強化と競争原理の導入による差別的労務管理を重視している。一方で「社会人等の大量採用」を掲げ、財界人が直接教育現場に乗り込めるような体制づくりを推進している。

 教育再生会議は「国際競争力」の耐えられる「学力」が低下しているという危機意識を前提にしているが、そもそも「学力低下」の原因は文部科学省が教育内容における到達目標を軽視し、学習者の選別を図ったからにほかならない。
 1989年の学習指導要領で指導要録(学校の学籍と指導の記録原簿)に観点別評価が導入され、「知識」や「理解」よりも、「関心」や「態度」や「意欲」を重く評価するようになったのが始まりで、当時「新しい学力観」と喧伝された。「何を理解したか」よりも「やる気」を重視し、すべての学習者に基礎学力を習得させることが軽視された。
 大学時代、私はこの「新しい学力観」を信奉する教師から話を聞いたことがあるが、彼はすべての子どもが同じ到達目標を目指すのではなく、それぞれの「個性」に合わせて、「できる子」にはそれに合わせて高い目標を与え、「できない子」にはそれに見合った低い目標を設定することで、誰もが「意欲」をもてるのが「新しい学力観」だと説明していた。見事なまでの選別・差別主義である。
 この思想の結果、「学ぶ意欲」や「真剣な態度」さえあれば理解の度合いが低くても評価されることになってしまい、総体として学力は低下したのである。
 *本稿では「学力」と無造作に語っているが、そもそも「学力」とは何かというのは長い論争があり、今も定説はない。私も「素人」なのでその辺は突っ込まないが、ここでは取りあえず社会生活に必要な知識や教養と捉えている。

 つまり学力を向上させたかったら、この「新しい学力観」以降の評価制度をやめ、基礎的知識の習得に重点を置き、全員がマスターすべき到達目標を設定するべきなのだが、教育再生会議の方向性はむしろそれまでの文部科学省と同じで、子どもの選別をより重視し、また「徳育」の振興という形で「態度」「意欲」に重きを置いている。これではむしろ「学力低下」に加担しているようなものだ。
 結局、「学力低下」云々というのは、教員や教育学者など教育の専門家にその責任を転嫁して彼らを教育政策決定過程から排除するための口実で、実際は少数のエリートを早期に選抜して彼らには英才教育を施し、残りの「その他大勢」には「徳育」を通して奴隷根性を叩き込み、社会の矛盾を構造的把握する能力が身に付くのを防ぐシステムを作るために持ち出されたのだろう。再生会議は「全員の学力」には関心がなく、「一部のエリートの学力」しか問題にしていないのである。

 ちなみに再生会議の最終報告に先立つ1月24日には、日本経団連が文部科学大臣と懇談会を行っているが、そこでの経団連側の要求は再生会議と方向性が全く同一で、「教育再生会議の提案を教育振興基本計画に反映」するように念を押している。経団連のレポートと再生会議の報告を読み比べれば、「教育改革」の「真の主役」が誰だったか自ずと見えてくるだろう。

【関連リンク】
教育再生会議の最終報告全文-東奥日報
日本経団連タイムス No.2891-02 渡海文科相との懇談会を開催
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by mahounofuefuki | 2008-02-01 12:30


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