あるホームレスの死

 今日の毎日新聞が、昨年11月に浜松市で70歳のホームレス女性が死亡した事件を伝えていた。この国の貧弱な福祉と人々の冷たさを絵に描いたような事件である。
 以下、毎日新聞(2008/01/16 02:30)より、コメントを差し挟みつつ引用する(太字は引用者による)。
(前略) 市によると、11月22日昼ごろ、以前から浜松駅周辺で野宿していた70歳の女性が駅地下街で弱っているのを警察官が見つけ、119番通報。救急隊は女性から「4日間食事していない。ご飯が食べたい」と聞き、病気の症状や外傷も見られないことから、中区社会福祉課のある市役所へ運んだ。
 女性は救急車から自力で降り、花壇に腰を下ろしたが、間もなくアスファルト上に身を横たえた。連絡を受けていた同課は、常備する非常用の乾燥米を渡した。食べるには袋を開け、熱湯を入れて20~30分、水では60~70分待つ必要がある。
 警察官が黙殺していれば、彼女は誰にも看取られることなく死んでいただろう。おそらくは誰にも気づかれないまま消えていくホームレスの方が圧倒的に多いだろう。水と火がなくては食べられない非常食だけを渡して事足れりという役所の怠慢は言うまでもない。水をどこで手に入れるのか(水道水は無料ではない)、ポッドも薬缶もないでどうしろと?
 守衛が常時見守り、同課の職員や別の課の保健師らが様子を見に訪れた。市の高齢者施設への短期収容も検討されたが、担当課に難色を示され、対応方針を決めかねた。
 運ばれて1時間後、野宿者の支援団体のメンバーが偶然通りかかった。近寄って女性の体に触れ、呼び掛けたが、目を見開いたままほとんど無反応だったという。職員に119番通報を依頼したが、手遅れだった。メンバーは職員に頼まれ、救急搬送に付き添った。
 「職員が路上の女性を囲み、見下ろす異様な光景でした」とメンバーは振り返る。「保健師もいたのに私が来るまで誰も体に触れて容体を調べなかった。建物内に入れたり、せめて路上に毛布を敷く配慮もないのでしょうか」。女性に近寄った時、非常食は未開封のまま胸の上に置かれていたという。
 この国の「小市民」の処世術は「面倒事は見て見ぬふり」であるが、ついに「ただ見ているだけ」にまで堕ちてしまったようだ。彼女は市役所の敷地内の路上で「木偶の坊」たちに見守られながら心肺停止状態になっていたのである。
 最初に病院ではなく市役所へ運んだことについて、市消防本部中消防署の青木紀一朗副署長は「業務規定に従って血圧や体温などを調べ、急患ではないと判断した。隊員によると女性は病院へ行きたくないそぶりを示した。搬送は純粋な行政サービスで、強制的に病院へ運ぶことはできない」と話す。
 市の一連の対応について、社会福祉部の野中敬専門官は「与えられた権限の範囲内ですべきことはやった。職員たちの目に衰弱している様子はなかった。容体急変は医師ではないので予想できない」と話す。
 病院はタダではない。健康保険からもはじかれていただろう。抵抗感があるのは当然だ。福田首相、これでもこの国を「国民皆保険」と言い切るのか?
 死因は急性心不全だった。女性の死亡後、市民団体などから抗議された市は、内部調査を実施。中区社会福祉課の対応について「空腹を訴える女性に非常食を渡し、収容可能な福祉施設を検討した。2回目の救急車も要請した。職務逸脱や法的な義務を果たさなかった不作為は認められない」と結論付けた。
 医師は死因がわからない時「急性心不全」で片づける。結局どんな病気だったのか藪の中だ。市役所はお得意の自己免罪だが、野宿者支援の活動家が通りかからなければ「2回目の救急車」はなかった。路上放置が「職務」や「法的な義務」なのか!?

 貧困は自己責任ではない。腐敗した官僚と無能な政治家と強欲な資本家と愚昧な大衆の合作による作為である。自分もそんな愚昧な大衆の1人にすぎず、そして何よりこの見捨てられたホームレスは、未来の自分の姿なのかもしれないと思う時、暗澹たる気分になる。
 誰もが安心して生活できる社会はそれほど困難で遠いものなのだろうか?
[PR]
by mahounofuefuki | 2008-01-16 17:26


<< 斎木昭隆を6カ国協議の代表に送る愚 ドクターズユニオン結成へ~立ち... >>