「アカの壁」を越えるために

最近忙しくて自分のブログを更新するのが精一杯で、なかなかよそ様のブログを精読できない(故にTBもあまり出せない)。
以前何度かTBをいただいた(なぜか当方からは成功したためしがないのが心苦しい)SIMANTO BBSの連載中(?)の力作記事「『バカの壁』より『アカの壁』」も「読みたい~」と思いつつ、RSSリーダーでタイトルをチェックするだけで、今日まで読めずにいた。
今日ようやく今までの6回分の記事を全部読めたので、私も前々から関心をもっている「アカの壁」について、自分なりの考えをまとめておきたい。

「アカの壁」とは人々の思考に根を張る「共産党嫌い」の心理のことである。
「反共主義」というほどではなくても、何となく「共産党は胡散臭い」「共産党は怖い」という大衆心理を指す。
日本共産党が「労働者の党」を称しながら、肝心の労働者に支持が広がらず、党勢が衰える一方なのは、この「アカの壁」が立ちはだかっているからである。
「アカの壁」の最大の要因は権力側の「反共宣伝」であるが、それが誤解と偏見にすぎないことはsimantoさんがお書きなので(特に「自共共闘」の実体験は必読!)、私は共産党側が抱える課題を指摘する。

実は「アカの壁」と言っても、世代や階級によってずいぶん違いがある。
70代以上の人々に話を聞くと、1950年代に共産党が武力革命路線をとり、「山村工作」というゲリラ活動をやっていた頃の恐怖を今も語る。その時の実体験と戦中に受けた教育の影響で共産党に対するアレルギーはすさまじい。共産主義と軍国主義を同一視している老人も少なくない。

また、1970年前後に大学生だった「団塊の世代」だと、学生運動のトラウマが今も深く刻まれていて、反共産党系のセクトにいた人々の共産党に対する憎しみはこれまたすさまじい。
藤原伊織の小説『テロリストのパラソル』に、東大の安田講堂を学生が占拠していた当時、1階を抑えていた民青(共産党の青年組織「民主青年同盟」)系が、上階を抑える全共闘へのいやがらせに燻煙式殺虫剤「バルサン」を焚く場面があるが、そういう神経戦や、実際に殴り合いを経験している人々は、今も複雑な感情をもっている(ついでに言えばそんな学生抗争に無縁だった低学歴層は疎外感からやはり反共主義へ流れやすい。私の父親がそうだった)。

特に何らかの理由で共産党を除名されたり、離党した人々は、思い切って右翼へ「転向」し、共産党への粘着質な攻撃に身を委ねる場合も少なくない。拉致の「救う会」会長の佐藤勝己や「自由主義史観」の藤岡信勝らがその典型であろう(筆坂さんは大丈夫かな?)。

一方、そうしたトラウマのない40代以下の世代の場合、共産党に限らず徒党を組むことへの抵抗感が何よりも強く、彼らの視点では共産党は宗教団体と同じである。
1970~1990年代は「政治離れ」の時代であり、下手に「お上」に逆らって悲惨な生活を送るよりも、適当に実社会と折り合いをつけて個人の「ささやかな幸福」を追求する「小市民的保守主義」が主流となった。そんな状況では革命政党たる共産党の基盤が拡大するはずもない。
もちろん「小市民的保守主義」にあきたらない人々も少なからずいたが、彼らは一般の大衆よりも組織や党派への不信感が強く、小規模な市民運動の方へ流れた。この流れは今も続いている。

それでは貧困と格差が拡大した現在、「小市民的保守主義」を望んでも「小市民」になりえない若い貧困層が共産党を支持するかというと、これも重大な「アカの壁」がそびえたつ。
『世界』先月号で、プレカリアート運動の雨宮処凛さんが、その昔右翼に加わった原因として、左翼の言っていることは難しくて理解できなかった、と回想していたが、はっきり言って共産党の「言葉」はテレビやゲームで育った若者には難しすぎるのである。

simantoさんがブログで共産党の綱領をたくさん引用されているが、文体の固さに加え、「科学的社会主義」「独占資本主義」「半封建的地主制」「絶対主義的天皇制」などの専門用語は、社会科学系の高等教育を学んでいないと「呪文」でしかない(かといって逆に知識があると、その教条主義的な解釈に近年の学界の研究動向との矛盾を感じる)。
「しんぶん赤旗」の記事やパンフレットなどは表面的にはずいぶん平易な言葉で書かれているが、インテリ臭はなかなか消えていない。いくら「労働者の味方」「庶民の味方」と口先で言っても、当の「労働者」や「庶民」は「インテリ以外お断り」という体臭を嗅ぎ取ってしまうのである。

私のブログの文章も読みやすさを度外視しているし、私はある種の大衆不信をもっているので(そのあたりは当ブログの光市母子殺害事件の記事を読んでいただければご理解いただけると思う)、人のことは言えないが、現在の共産党員・支持者の主力が公務員・教員・看護師・薬剤師などの専門職に限られている状況を打破するには、もっと綺麗事ではない世俗に生きる本当の庶民に響く主張と言葉が必要だろう。

ちなみに、私の知っている党員(やそれらしき人)は、不破哲三氏のコピーみたいな人から「ソ連は良かった」とか「アメリカから自立するためには核武装が必要だ」とのたまう人まで千差万別だが、共通するのは「頭がいい」ことと「面倒見がいい」ことで、こちらに偏見さえなければ頼りになるし、自民党に与する某巨大宗教団体の人々のように「勧誘活動」をするわけでもない。
「完璧な政党」などありえないのだから、組織の閉鎖性や党綱領の教条主義性を理由に排除するのはあまりにも狭量だ。

何といっても唯一、企業・団体の政治献金も国からの政党助成金も受けていない政党であることを忘れてはならない。
私は政権交代の意義を否定するわけではないが、小沢一郎率いる民主党は、最低賃金法改正案や労働契約法案の例を挙げるまでもなく(あるいは郵政民営化凍結法案も参院に出しただけで未だ何ら審議が行われていない)、本質的には「自民党政治」を転換する意思が不透明であるばかりか、もっと悪政になる可能性すら秘めている。
政権交代よりも共産党の議席が衆院で40以上になることの方がよほど政界にインパクトがある。現状では絶望的に厳しいが、人々が「アカの壁」を越えるきっかけさえつかめば不可能ではない。


(本当は「国民」と「人民」の問題とか、民主集中制の意義と限界とか、労働運動史・社会主義運動史における日本共産党の位置とか、社会主義とナショナリズムの関係とか、もっとディープな話もしたいが、学生時代ならともかく、今やすっかり錆びついた私の脳では技術的にも時間的にも無理なので見送る。)

【関連リンク】
SIMANTO BBS 104:「バカの壁」より「アカの壁」 その1
SIMANTO BBS 105:「バカの壁」より「アカの壁」 その2
SIMANTO BBS 106:「バカの壁」より「アカの壁」 その3
SIMANTO BBS 107:「バカの壁」より「アカの壁」 その4
SIMANTO BBS 108:「バカの壁」より「アカの壁」 その5
SIMANTO BBS 109:「バカの壁」より「アカの壁」 その6

(追記)
SIMANTO BBS 110:「バカの壁」より「アカの壁」 その7
SIMANTO BBS 111:「アカの壁」 その8(大阪弁で語る綱領)
SIMANTO BBS 112:「アカの壁」 その9(大阪弁で語る綱領)
SIMANTO BBS 113:「アカの壁」 その10(大阪弁で語る綱領)
SIMANTO BBS 114:「アカの壁」 その11(大阪弁で語る綱領)
SIMANTO BBS 115:「アカの壁」 その12(大阪弁で語る綱領)
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by mahounofuefuki | 2007-11-18 16:33


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