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歴史修正主義について

村野瀬玲奈の秘書課広報室で、10月にパリで行われた南京虐殺70周年国際シンポジウムのことが紹介されていた(レイバーネット13日の水曜日と転載されてきたそうだが)。
昔取った杵柄で沖縄戦の教科書検定問題について書き散らしてきた身としては、全く恥ずかしい話だが、そのシンポジウムのことは全然知らなくてノーチェックだった。
以下、レイバーネットの元記事(飛幡祐規さんの執筆)より一部引用。

(前略)10月1日、フランスの国立科学研究所(CNRS)に属する現代史研究所(IHTP)という戦争の歴史・記憶や植民地支配、歴史修正主義の研究を進める機関が主催し、パリのドイツ歴史研究所(IH AP)の共催による会議が催され、都留文科大学の笠原十九司教授、慶応大学の松村高夫教授、家永裁判弁護団長を勤めた尾山宏弁護士が発表しました。現代史研究所のアンリ・ルーソ氏(ナチスに協力したヴィシー政権の研究など)が議長を務め、パリ第3大学東洋語学校のミカエル・リュケン教授(日本の近代・現代史、美術史研究家)も参加して、2時間の同時通訳をとおして、とても密度の高い会議でした。笠原教授は「南京大虐殺事件と日本政治における否定の構造」というタイトルで、南京事件の概要を述べたあと、現代日本の政治家が侵略戦争の指導者・推進者の直系・傍系の継承者である状況を「政治的DNA」と形容し、政界・財界・マスメディアで歴主修正主義が優勢にある日本の特殊性を強調しました。松村教授は「731部隊と日本軍の細菌戦」について発表し、中国人犠牲者の訴訟が次々と敗訴となっている状況を述べました。尾山弁護士は、「日本における歴史修正主義の一つの要因」という題で、バブル崩壊以後の日本人の自信喪失がその一つの原因であるという見解を発表しました。
(中略)
この会議の通知は在仏日本大使館と在パリ日本のメディアすべてに送りましたが、大使館からは不参加(たぶん)、メディアで取材に来たのは「しんぶん赤旗」と、パリの日本語・仏語ミニコミ新聞オヴニーだけでした。オヴニーでは11月1日に南京虐殺の特集を組むため、笠原教授にインタビューしました。この新聞は日本でも購入できます。
(中略)
なお、この企画はまったくのボランティア活動として行われたため、じゅうぶんな宣伝ができなかったのが残念ですが、オヴニーには情報の予告を載せてもらえました。この予告をみて電話をしてきた人の中に、「なんでわざわざ外国にまで来て日本を悪く言うのか? 南京虐殺はまだ議論の最中だ」と言う修正主義の女性がいたので、「それでは専門家の発表をきいて、質問してください」と答えましたが、いやがらせをしにくる人はいませんでした。

私自身もいろいろ考えさせられることの多い企画でしたが、笠原・松村教授に「若い世代で研究を引き継いでいる人がいるか」と聞いたところ、「こういう研究では仕事の口がないから、ほとんどいない」という答えが返ってきて、ショックを受けました。彼らの学生の中にも、小林よしのりのマンガを読んで理論武装をしている若者がいて(東大の高橋哲哉教授もそう言っていました)、その人たちの半分を説得するのがやっとという状況だそうです。マスメディアの恐るべき力と怠慢、大学のネオリベラル経営化といった状況が、修正主義者にますます都合のいい世の中をつくっているのでしょう。笠原教授が「歴史学者や知識人はもっと勇気をもたなくてはいけない」と言っていたのが印象的でした。
ここで重要視したいのは、政財界やマスメディアで歴史修正主義(私は歴史改竄主義と呼びたいが)が優勢になっているという、笠原十九司氏の指摘である。
政財界(と官界)ではある意味、敗戦以来、タテマエとしての平和主義とホンネとしての戦争讃美ないしは戦争へのシニシズムを使い分けてきたので、歴史修正主義がずっと主流だったとさえ言えるのだが、近年の大きな変化はマスメディアである。

もともと戦争体験者がたくさんいた1980年代くらいまでは、日本における戦争の「語り」は「空襲」や「原爆」や「疎開」といった被害体験が主流で、加害体験は多くの日本人に忘却され、軽視されていた(沖縄戦でも日本軍による住民殺害や「自決」強制の事実を黙殺し、やたらと「ひめゆり」部隊が「美談」として語られた)。
その空気を反映して、新聞やテレビも銃後の生活の悲惨さを強調する特集はよく組まれたが、戦場で日本軍が何をしたかという観点はすっぽりと抜け落ちていた(例外は朝日新聞で「中国の旅」などを連載した本多勝一氏くらい)。歴史学界でも、南京大虐殺だけは早稲田大学教授だった故・洞富雄氏らの尽力で研究が先行していたが、戦争犯罪の全体像は史料の制約もあって十分に明らかになっていなかった。

それが変化するのは1990年代に入ってからで、アジア諸国から、それまで開発独裁下で沈黙を強いられてきた被害者が直接声を上げたことで、否応なく「日本の加害」に向き合わなくてはならなくなったからである。また、戦争体験者が少数派になったことで、逆に加害の事実を追及しやすくなったということも否めない。
その頃になると、中央大学教授の吉見義明氏の「従軍慰安婦」に関する研究をはじめ、日本軍の戦争犯罪の実証的な研究がようやく増え始め、司法でも1997年、第3次家永教科書訴訟の最高裁判決が、細菌戦の記述などを削除させた教科書検定を違法と認めるなど、風向きは変わりつつあった。

しかし、一方で同じころ、当時東京大学教授だった藤岡信勝氏(1980年代までは左翼系の教育学者として有名だった)が「自由主義史観」なる歴史改竄主義を立ち上げ、それ以前から南京大虐殺否定などの策動を繰り返していた旧来の右翼勢力をも結集し、「新しい歴史教科書をつくる会」を設立した。特に漫画家の小林よしのり氏が参加した影響は大きく、上記引用文でも指摘されているように、若い世代に「小林の方がホントの歴史」とみなす風潮が広がってしまった。
そうした歴史修正主義の「再興」により、変わりかけた風向きは逆風になり、21世紀になると長期構造不況と「構造改革(改悪)」による貧困と格差の拡大により、「日本人」であるだけで自信がもてるナショナリズムに身を委ねてしまう人々が増えた。

マスメディアもそんな状況を反映して、すっかり歴史修正主義に無抵抗になってしまった。NHKの番組改編問題はその典型例である。
もともと産経新聞は歴史修正主義の主導者であったし、他の大手新聞や放送局も終始及び腰であったが、最近はヒステリックなナショナリズムに恐れをなして、ますます戦争の加害の事実を伝えることを怠るようになってしまった。その結果、最新の研究成果も知らず、いまだに「南京大虐殺は虚構」だの「従軍慰安婦はいない」だの、歴史学ではとっくに決着している議論を延々と繰り返しているのは、もはや滑稽としか言いようがない。
さらに悪いことには、この頃は「加害」のみならず、「被害」すら語られなくなってしまった。戦争の「語り」がどんどん抽象化し、それだけ戦争を美化しやすくなっている。

もうひとつ問題なのは、若い研究者が育っていないという指摘である。
そもそもこのシンポジウムに出席した笠原、松村両氏とも専門の歴史学者ではあるが、元来日本近代史の専攻ではなかった。笠原氏は中国の民衆運動、松村氏はイギリス経済史の研究者だった。日本近代史の研究者でも、前記の吉見氏や関東学院大学教授の林博史氏や一橋大学教授の吉田裕氏らが戦争犯罪の研究を行っているが、学界全体からみれば絶対的に数が少ない(最近も林氏が某専門誌で歴史学界が「戦争の加害」に冷淡だと批判していた)。研究者の不足は長く続いている構造的問題なのである。
ましてや若手は研究職が就職難で、しかも成果主義の導入で論文を量産しなければならない。時間がかかる上、「お上」から睨まれ、時には右翼のテロにより生命の危険にさらされる戦争犯罪研究などは、完全に敬遠されているのが実状である。このままでは本当に戦争の史実が闇に葬られてしまうことになりかねない。

まだまだ言い足りないことが山ほどあるが、今回はこの辺にしておく。
歴史修正主義や教科書検定の問題については、今後も折をみてブログで触れていくつもりである。

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【関連リンク】
パリで南京虐殺70周年国際シンポジウム(飛幡祐規)-レイバーネット
13日の水曜日 自爆史観関係、見つけた情報をメモ(071031版)
村野瀬玲奈の秘書課広報室 南京虐殺70周年国際シンポジウム・パリ会議(レイバーネット、「13日の水曜日」などから)
by mahounofuefuki | 2007-11-01 17:58


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