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教科書検定の徹底検証を

高校用日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」に関する記述が軍の関与を隠蔽する内容に改竄された問題は、教科書出版社が記述の「訂正申請」を行い、教科用図書検定調査審議会が再審査する方向で決着するようだ。
沖縄の人々の行動が世論を動かし、ついに政府の野望を打ち砕いたわけだが、これで一件落着ではない。

この問題に対する最近の閣僚の発言をよく読んでみよう(文言は朝日新聞による)。

「沖縄の皆さんの気持ちを何らかの方法で受け止め、修正できるかどうか、関係者の工夫と努力と知恵がありうる」(10月1日 町村信孝内閣官房長官)
「(検定に)政治的介入があってはいけない。しかし、沖縄県民の気持ちを考えると、両方ともものすごく重い」(10月1日 渡海紀三朗文部科学大臣)

いずれも「沖縄県民の気持ち」への配慮を前面に押し出しているが、検定そのものの間違いには触れていない。これでは、まるで「検定意見は間違っていないが、沖縄県民がうるさいので仕方なく直す」とでも言っているようなものだ。
問題は「気持ち」ではなく、検定結果が「事実」かどうかである。政府が本音ではまったく反省していないことは明白だろう。

沖縄戦に関する最近の研究状況は「沖縄戦の事実を歪める教科書検定の撤回を求める歴史研究者・教育者のアピール」(歴史学研究会)が端的に示しているので、一部引用しておく。

沖縄戦における「集団自決」の悲劇は、沖縄県民にとって忘れることのできないものであり、そのため、この悲劇がなぜ、どのようにしておこったのかについては、体験者の証言をはじめさまざまな角度からの調査研究が進められてきた。その結果、住民が戦闘にまきこまれるなか、日本軍の「軍官民共生共死」という基本方針のもと、敵の捕虜になることの禁止が徹底され、軍が手榴弾を配付し、あるときは役場職員を介して自決指示を出したなどの事実が明らかになった。それにより、軍が直接住民にその場で自決命令を発したか否かにかかわりなく、「集団自決」がまさに日本軍に強制・誘導されたものであったことが明確になったのである。日本軍が存在しなかったところでは「集団自決」がおきていないこともそのことを証明している。

軍による「集団自決」強制を否定したい人々は、「玉砕しろ」という軍命令の公文書が残っていないことをもって、「軍の強制」を否定しているが、それは問題の矮小化である。激烈な地上戦のさなかで文書など残りようもないことを悪用しているのだ。しかも「玉砕を命令していない」という軍人の証言は採用するくせに、圧倒的多数の住民の証言は無視する。

沖縄戦に限らず、問題を狭くとらえ、一部を否定することで、全部を否定しようとするのが歴史修正主義の常とう手段である。
1937-38年の南京戦及び占領下における大量虐殺事件(南京大虐殺)では、出征軍人の日記や部隊の陣中日誌などから虐殺を否定できなくなると、捕虜の処刑は「虐殺」でないなどと言い出したり、南京市の人口を低く見積もったり、「数の問題」にすり替えようとした。日本軍専用性的強制施設=「慰安所」問題では、公文書により軍の命令で設置されていた事実を否定できなくなると、「慰安婦」を強制連行したかどうかに論点をすり替え、しかも「強制」の定義を「無理やり縄で縛って連行する」ような「狭義の強制」に狭めようとした。一方で、朝鮮の「拉致問題」では、騙されて渡航した事例も「拉致」としているのだから、矛盾もはなはだしい。

歴史学界の通説が「軍の強制」を認めているにもかかわらず、なぜ今回のような検定が行われたか、徹底した検証が必要だ。
以前にも指摘したように、教科用図書検定調査審議会の委員・臨時委員や文部科学省の教科書調査官の人選には疑念がある。また検定意見原案を文部科学省初等中等教育局長が決裁していたことも問題だ。これは検定への「政治的介入」にほかならない。国会で調査し、場合によっては関係者を参考人招致することも必要だろう。
特に教科書調査官が文部科学省の職員である現行制度の是非は問わなければならない。その人選の透明化も必要だ。
この問題を単なる「軍の強制」の記述の復活で終わらせてはならない。
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by mahounofuefuki | 2007-10-03 13:19


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