「空気を読む」ということ

爆笑問題・太田光「『空気読む』って何だよ? 周りの人間に振り回されるな!(livedoorニュース)
空気を読む」とは?爆笑問題・太田光さんの発言に関して(livedoorニュース)

私はテレビをほとんど観ないので、爆笑問題の太田光さんが普段どんな言動をしているのか、あまりよく知らない。この記事で取り上げられている「空気を読むな」という発言も、当のテレビ番組を観ていないので、詳細は不明だが、記事の通りだとすれば、まさしく「我が意を得たり」という発言である。

私は子どもの頃から「空気を読めない」人間だった。
小学生の時、担任教師が母親を亡くし、数日間忌引欠勤したことがあった。その日、私を含む数人の児童が掃除当番だったのだが、当番の中の1人が「先生が悲しんでいる時だからこそ、念入りに掃除しよう」と言い出し、私を除く子どもたちがそれに同調した。私には「先生の悲しみ」と「掃除」がどうつながるのかまったく理解できず、普通どおりの掃除をし、決められた時間に下校しようとしたが、他の子どもは帰ろうとする私を「薄情者」と非難し、罵倒した。私はそれを無視して学校を出て、連れ戻そうと追ってくる同級生を振り切り、家に帰った。つまり私は「空気を読めなかった」のである。
(ただし、この話には続きがある。私が下校した後も、遅くまで学校に残っていた同級生たちは、代理担任の教師に見つかり、叱られて帰された。翌日登校すると、その教師は事の顛末をただし、1人規則を守った私を褒め、他の子どもたちは「掃除」を口実に単に学校に居残りたかっただけだと喝破した。)

その後も、「空気が読めず」孤立したり、白眼視されることがままあった。今なら間違いなく「いじめ」の対象として迫害されていたであろう。私が子どもの頃は、今ほどコミュニケーションの巧緻が人間関係の決定的要因ではなかったから、何とか生きながらえて来れたが、「空気を読む」ことが絶対化している現在ならば、死に追い込まれていたかもしれない。

「空気を読む」ということは、「強者に従順」「多数派に迎合」ということである。
どんな不当なことでも、周りがみなやってたり、見逃しているから、という理由で容認したり、我慢する現代日本の病理の本質はここにある。
実際はそこに「空気を作り出す者」がいるのにもかかわらず、その姿は隠され、「なんとなく」流されている。しかも、たちの悪いことに、「空気を作り出す者」は無自覚である場合が少なくない。結果として無責任と無知と無抵抗が蔓延していくのである。

言いたいことを言い、やりたいことをやる、どんな権力にもはっきりものを言う。
そういうことを徹底しないと、それこそ「戦争」や「愛国」が「空気」になりかねない(そうなりつつあるが)。
「空気を読まない」人々がそれこそ多数になれば、「空気を読まない」のが「空気」になるのだが・・・。
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by mahounofuefuki | 2007-09-03 10:14


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