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とりあえず

 備忘録用ブログmahounofuefukiのメモ(http://d.hatena.ne.jp/mahounofuefuki/)の方は今月より更新再開しました。

 「片隅~」の方は引き続き休眠します。
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# by mahounofuefuki | 2010-01-21 20:30

ひとりごと

 夜明け前こそ闇は濃くなると古の人は言ったが、どんなに暗闇が濃く深くなろうとも決して夜明けが訪れる気配のない今日この頃。

 貧困と差別と排除の蔓延はとどまるところを知らず、底なし沼のような世には非命の死者が満ち溢れ、生死をさまようものたちの言葉にならない呻き、あてのない悲鳴、やけっぱちの怒号がこだましている。

 右を向いても左を見ても馬鹿ばかり。財政難を呼号しながら金持ち増税を封印する馬鹿。「無駄遣い」と称して安定雇用を減らし続ける馬鹿。「地方分権」やら「脱官僚」やらが「構造改革」の継続でしかないことを理解できない馬鹿。貧困そっちのけでオモチャをねだる子どものように核武装を熱心に説く馬鹿。痛めつけられ弱りきっている人に「自力救済」を強要する馬鹿。自分の「加害」の罪は棚に上げて「世代としての被害者」たる若者に責任を転嫁する馬鹿(私は「眼鏡をかけた精神科医」が嫌いだ!なんちゃって)。

 「引き下げデモクラシー」の沸騰。「憎悪の動員」と「抑圧の移譲」の恒常化。「政権交代まつり」も形を変えたポピュリズムの発露でしかない。ついには「橋下詣で」を競うとは。だから昨年あれほど警告したのに。その昔何かで読んだ「粗製濫造された神々が踊り狂う」という言葉が浮かぶ。

 みかん箱を開けたら腐ったみかんばかり。腐ってないみかんも農薬まみれ。頼みの綱も「建設的野党」って・・・病気が再発したか。「反貧困」も平気で「村」と名乗ってしまうあたりに陳腐なナショナリズムに回収される危険を感じる。

 近頃脳内に鳴り響いているのは、ムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の苦行僧が不吉な未来を嘆く歌と、ショスタコーヴィチの交響曲第11番の「虐殺」シーン。前者は文字通り「政権交代」に熱狂する群衆を嘲笑する。後者はパンと平和を請願する人々を軍が一斉射撃して皆殺しにする様子をリアルに描写する。そういえばムソルグスキーもショスタコーヴィチも最期まで「救済」を表現することなく、一方は極度の貧困の中で、他方は体制に自由を奪われた絶望の中で死んでいった。歴史の踏み台にされる者の悲しみと悔しさ。

 昨年末来健康上の問題がありブログの更新を停止しているが、依然心身とも疲弊しており、この短い駄文を書くのもやっとなほど「書けない」病が慢性化している。よって引き続き更新を停止する。これだけ長期間放置しているともう誰からも忘却されているだろうが、一応お知らせ。
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# by mahounofuefuki | 2009-08-10 09:48

文部科学省の教科書検定「改善」案について

 昨年の今頃は、文部科学省が高校用日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」における軍の強制を隠蔽する修正を行ったことが大問題となっていた。検定意見の撤回を求める声は残念ながら届かず、記述の回復も一部しか実現できなかったが、一連の過程で教科書検定制度が孕む諸問題が多くの人々に可視化された意義はあった。

 この「集団自決」問題を機に、文部科学省は検定過程の見直しを検討していたが、昨日の教科用図書検定調査審議会(検定審)の作業部会で「改善」案が決定したようである。その概要が報道されている。

 時事通信出版局|最新の教育ニュース:教科書検定、議事公開へ=検定調査審議会(2008/12/04 20:10)*web魚拓
 http://s01.megalodon.jp/2008-1205-2005-57/book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20081204-6
「事後公開するとしたのは▽教科別の部会や小委員会の決定事項、審議内容を記載した議事概要▽部会、小委ごとの所属委員名▽出版社に通知する検定意見書の原案として教科書調査官が作成する調査意見書-など。
 検定過程で専門性の高い記述や学説が分かれる部分について判断する場合には、部会、小委が追加で専門委員を任命したり、外部から意見を求めたりできるようにし、審査自体の運用改善も図る」

 一応「改善」と評価できるのは、検定終了後とはいえ、従来全く非公開だった教科書調査官による調査意見書の公表を明示したことであろう。検定申請された教科書に対する文部科学省の意見は、表向きは検定審が決定することになっているが、審議会は形骸化しており、常勤の教科書調査官の意見が事実上左右している。検定過程を第三者が検証するためにも、その公開は絶対に必要であった。また、昨年の訂正申請の際に実施した外部の専門家からの意見聴取を制度化するのも、実施基準に疑問は残るが一定の評価はできよう。

 しかし、それ以外の「改善」案はあまり意味があるとは言い難い。こう言っては何だが、議事の公開が検定中だろうと検定後だろうと、検定審自体が調査官の意見書を追認するだけで形骸化したままでは、何度でも昨年のような不当検定が起こり得る。審議会委員や教科書調査官の詳細な人事情報公開も、従来から「わかる人にはわかる」状態で、肝心の人選・採用の透明化・公正化の具体案を欠いているのは問題である。

 さらに、「改悪」を疑わざるをえない話も報じられている。

 沖縄タイムス:検定透明化 程遠く/教科書審査改善案/途中の情報規制は強化(2008/12/05朝刊)*web魚拓
 http://s04.megalodon.jp/2008-1205-2007-01/www.okinawatimes.co.jp/news/2008-12-05-M_1-031-1_001.html
「検定の途中で審査内容が申請者以外に漏れた場合、審議停止できる」
「文科省幹部は『どういう経緯であれ、情報が出たら何らかの措置を取らないといけない。静かな環境ではなくなるわけだから』と今回の見直し作業で、情報規制が重点の一つだったことを認めた」

 「情報規制」「審議停止」というのは物騒な話である。昨年の訂正申請の時に、一部の教科書執筆者や意見聴取を受けた専門家が、検定に関する情報を一般に公開したようなことを予防するための策としか思えない。これは主権者の「知る権利」を侵害し、検定の「密室化」を促進するものと言えよう。「審議停止」は申請教科書が検定を通過できないことを意味するから、いわば教科書会社に対するペナルティであり、文部科学省の統制強化策以外のなにものでもない。

 教科書検定制度の大義名分は教科書記述の学問的合理性と客観性の担保にあったが、昨年の事件はそれが機能していないことを白日の下に曝した。私見では政府機関による教科書検定制度は廃止し、教科書発行者の責任を明確にした上で、教科書の採択の段階で何らかの方法により専門家や教員が関与できるようにするよう改めるべきだと考える。家永教科書訴訟が終結して以来、すっかり検定制度の改廃自体は問題になっていないが、関係者には改めて検定制度の廃止を検討して欲しい。

【関連記事】
教科書改竄の「黒幕」
教科書調査官の系譜~「さるのつぶやき」より

【関連リンク】
教科書検定の手続等 - 文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/04060901/005.htm#z02
高等学校日本史教科書に関する訂正申請について(沖縄戦関係) - 文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106.htm
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# by mahounofuefuki | 2008-12-05 20:23

「構造改革」路線の由来と麻生内閣の政策転換?についての暫定的な覚書

 私もそうだったが、しばしば「小泉政権以降の」政策路線が「貧困と格差」を拡大したと言ってしまいがちだが、そうなると当然次のような問題が生じる。「小泉以降」ということは、「小泉以前」は良かったのか?と。同時代人のリアルタイムの感覚からすると、小泉政権時代に雇用待遇差別や社会保障の脆弱さが顕在化したのは確かだが、今日冷静に振り返るならば、企業のリストラによる雇用待遇全般の低下や非正規雇用の拡大はすでに1990年代に出そろっていたし、「就職氷河期」のピークだった1990年代末はまだ小泉政権ではなかった。小泉純一郎個人のエキセントリックなパフォーマンスに惑わされて、あたかも小泉政権が「突然変異」だったように錯覚しがちだが、実は「構造改革」というのは、少なくとも1980年代半ばからの長期的な政策潮流の帰結であったことを再認識しなければならない。

 いわゆる「小さな政府」路線の源流は、1980年代の中曾根内閣の臨調路線に遡るし、大企業・富裕層への減税路線も80年代から本格化する。90年代には橋本内閣が行革と消費税増税というその後の政府を貫く政策基調を確立した。小泉政権はその延長線上に登場した。当然その潮流は一直線ではなく、その時々の経済状況や権力抗争に規定されて紆余曲折があったが、「小さな政府」路線の支持基盤は一貫して、公共事業を通した地方への利益配分を軸とする「土建型福祉国家」とも言うべき旧来の自民党の基本路線に対して不満を抱く、都市中間層が中心であった。忘れてはならないのは1980年代から1990年代にかけて、コミュニズム系ではないリベラル系の左翼はむしろ行政不信を前提として規制緩和や行政の縮小を支持したことで、「小さな政府」論は古典的なレッセ=フェールへの回帰という点で本質的に保守的であったにもかかわらず、大衆には「革新」として受け取られたという点である。そして現在も「税金の無駄遣いを減らして」という言説への支持を通して、「小さな政府」は延命を続けている。

 つまり本当の意味での政策転換とは、単に小泉政権以前に戻ることではなく、少なくとも80年代以降の大企業・富裕層優遇、政府の再分配機能弱体化、社会保障での応能原則の否定、雇用待遇の引き下げ等々を全面転換することにほかならない。麻生内閣は来年度予算編成で「骨太の方針」を修正し、公共事業や社会保障の抑制路線を転換することを決定したと報じられているが、実際には「骨太の方針」を廃棄したのでも、大胆な予算配分の見直しを行うのでもない。シーリングを維持しながら外枠で財政出動を増やすというのは、いわば「景気回復」(何をもって景気が回復したと見るかは恣意的)までの暫定措置ということである。マスメディアは政策転換とか「改革の後退」と書きたてるが、これは橋本政権の緊縮路線の後、小渕政権が一時的に利益配分を増加させたのと同程度の「転換」でしかなく、本格的な政策転換からは遠い、いつでも「構造改革」路線に復帰できる代物にすぎない。

 中途半端な「転換」にすぎないことに加えて問題となるのは、景気対策のための公共事業増発という方向性自体は正しいものの、単に先祖がえりのように大型開発のような利益誘導を主体とする限り、またしても利益に与れない都市中間層や貧困層の一部などが財政出動そのものへの不満を募らせ、「小さな政府」路線を欲求する可能性が高くなるということである。普遍的な社会保障の確立と公共事業の質の転換(需要の低い大型事業から生活需要に即した事業への転換)を伴わなければ、公的支出が生活に結びついているという実感を得られず、際限のない歳出削減を望み続けるだろう。そして自民党内には今回程度の「転換」をも批判する新自由主義派が健在であり、民主党が歳入の公平性を軽視して行政縮小による財源捻出に固執している現在、麻生内閣に対抗する政策路線は歳出削減路線となる可能性が高い。自民党でさえなければ何でもいいという政権交代信者にとってはそれでいいのだろうが、替わった政権が民主党+新自由主義派による歳出削減路線(しかも間違いなく軍事費のような「本当の無駄」は「聖域」となる)ではまたしても「貧困と格差」は拡大を続ける。いつか来た道である。

 「共産党を中心とする政権」でもない限り(しかし現行の選挙制度と社会構造ではまずありえない)、どのような組み合わせの政権でも、当分は旧来の利益誘導路線と歳出削減路線の幅の中にとどまるだろう。小泉政権の否定にとどまらず、もっと長いスパンで過去の政治を総括し、従来とは全く異なる普遍的な福祉国家が構想されなければならないが、不況の現状はそんな猶予すらない。私の絶望が日々深くなる所以である。
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# by mahounofuefuki | 2008-12-04 17:42

Yahoo!百科事典はちょっといいかも

 インターネット時代になった最大のデメリットは、不正確な情報が次から次へと広がりやすくなったことだと思っている。その最たるものがweb上の百科事典「ウィキペディア」で、専門家も素人も同等で参加できてしまい、執筆・編集の責任の所在が不明確なのに、それでいて検索の上位にくるので一定の権威をもってしまっており、その悪影響ははなはだしい。大学のレポート課題でウィキペディアに依拠した学生がみな同じところを誤記していたなんて笑えない話があるほどである。少なくとも学問の領域に含まれる事柄は、web上に確実性の高いソースが欲しいと思っていた。

 そんな中、Yahoo!がweb上で無料のデジタル版百科事典を公開していることを最近知った。

 Yahoo!百科事典 - 無料のオンライン百科事典
 http://100.yahoo.co.jp/

 ウィキペディアとの決定的な違いは、ベースが『日本大百科全書』全26巻(小学館、1984-1994年)で、項目ごとに執筆者の氏名を明記していることである。元が紙媒体なので文章量が少なく、当然即時性は全くないが、正確性が高く、責任の所在が明確であるのは僥倖である。とりあえず大学の専攻分野だった日本近代政治史の関連項目を適当に読んでみたところでは、執筆者は学界の大御所・第一人者が多く、記述内容も要所を押さえている。もちろん常に学者が正しくて、素人が間違っているということにはならないが、アカデミズムの専門性はやはり尊重されるべきであろう。

 問題はベースの『全書』が10年以上前の刊行であるため、どうしても最近の研究水準からすれば記述が古くなってしまっている項目も少なくないことで、特に参考文献が古い場合が目に付く。無料コンテンツである以上、あまり贅沢は言えないが、少なくとも参考文献の追加は頻繁に行うことを望みたい。

【関連記事】
教科書の出典がウィキペディアでいいのか
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# by mahounofuefuki | 2008-12-03 18:01